上善若水

禅 語

更新日 2008/06/01
禅語一覧に戻る

上善若水
(老子)
じょうぜんはみずのごとし

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

 「上善」とは最上の善、ここでは最上の善をそなえた人、即ち道に達した人。「衆人の悪む所」とは多くの人が皆な嫌がる所、即ち水が落ち込む場所。「道」とは老子の教えの中で云う、万物の本源的なもの、即ち万物の真実です。禅で云えば究極の悟りです。
 道に達した人は水のようなものです。水は巧みに、すべてのものに恵みを施し、しかもすべてのものと争わず、多くの人々が嫌う場所に好んで就こうとします。まさに水こそ「道」の本源であると云うわけです。「上善は水の若し」とよく政治家が揮毫(きごう)しますが、恐らく政治は弱き者(衆人の悪む所)の味方だと云うのでしょうか。
 また、水は四角の器に入れば四角に、丸い器に入れば丸に、自由自在に柔軟性を発揮してそのものに成りきります。しかも、四角から丸に移したからと云って、四角の角は残しません。優れた禅者も何時、
何処(どこ)、何事においても、その場その場の境に成りきって、跡を引きません。怒る時は徹底怒る、悲しむ時は徹底悲しむ、仕事の時は徹底仕事、遊ぶ時には徹底遊ぶ、その辺の消息を汲んで禅家はこの語を珍重します。
 水と云えば、「(みず)()(そく)」というものがあります。
 戦国時代の武将、黒田孝高(よしたか)(1546~1604)は播州姫路の生まれで、はじめ小寺家に仕えます。織田信長の覇権が播州に及んで、旧知の荒木村重の反抗を翻意させるべく、単身、村重の居城伊丹有岡城へ赴きますが、捕らえられ城内の地下牢に幽閉されます。その牢は水気が多く、頭にはかさ(・・)が出来、脚の肉が落ち、皮膚病の為、右ひざが腐り、惨憺たる状態を強いられます。しかし牢内を流れる一条の水に生き抜く力を与えられます。


岩もあり 木の根もあれど さらさらと
      たださらさらと 水の流るる (甲斐和里子)


 水は高きから低きに無心にさらさらと流れて行きます。前途に如何(いか)なる障害物があろうとも、自在に流れを変え、信じられないような大きな力を発揮して、岩をも削り取って流れて行きます。毎日毎日その流れを見る事によって、普通なら二、三ヶ月で死んでしまう所を一年間も生き抜き、豊臣秀吉に救われます。これより、水の如く生きるべく、「如水(じょすい)」と号し、「水五則」を掲げて、自分の座右の銘とし、ついに黒田五十万石の大名になります。その「水五則」です。


一、自ら活動して他を動かしむるは水なり――他を指導する為には、自ら実践すべきである。
二、つねに己れの進路を求めてやまざるは水なり――自らの進路をいつも求め続ける積極性を持つべきである。
三、障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは水なり――少々障害に当たろうとも力を落としたり、落胆すべきではない。
四、自ら潔うして、他の汚濁あわせ容るる量あるは水なり――どんなものでも受け入れる大きな度量を持つべきである。
五、洋々として大海をみたし、発しては雲となり、雨雪に変じ、霧と化し、凝っては玲瓏(れいろう)たる鏡となり、しかもその性を失わざるは水なり――何時でも、何処でも自分の信念だけは変えるべきでない。


 水の如くに生きれば、まさに禅の悟りに通じます。