更新日 2005/10/01 |
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『床の間の禅語』 (河野太通著・1984.7.禅文化研究所刊)より |
瑞巌和尚、毎日自ら主人公と喚び、復た自ら応諾す。及ち云く「惺惺着や、喏。他時異日、人の瞞を受くること莫れ、喏喏」(『無門関』第十二則) 主と申さば一切に自在なるところの名じゃ。自在とは自ずから在るということではござらんか。 主体的な自己である主とは、すべてのものに束縛されず自由自在でいることをいいます。また、自在ということは、自ずから在るということで、力まず、自然に無心な己れ自身であることです。心に何もなければ、いつ、どこででも固くならずにいることができます。どうしても固くなるのは、心の中に何かがあるからです。 心の中に何の思いもないときは、自由自在ですから、どこへ行っても自分の家にいるのと同じです。どこへ行っても遠慮せずにおられます。お釈迦さまは「この世界はわが家だ」と悟られました。そして、世界の主人公になられたのですが、それが主体的な自己というものです。 |