法 話

不二 我をはるな、心ころころ丸くなれ!
書き下ろし

神奈川県 ・東学寺住職  笠龍桂

 私たちは、普段“自分”と言う殻(から)にとらわれて生きています。つまり、自分自身に執着して毎日を過ごしているのです。この傾向が極端になってくると、段々と視野が狭くなっていき、現在問題となっている「ひきこもり」と言う極端な排他的考えに落ち込んでしまいます。
 程度はどうあれ、人間は多かれ少なかれ自分自身に執着して生きているのは間違いありません。お釈迦様は、そんな私たちの眼をさまさせようと、“諸法(しょほう)無我(むが)”の法を説かれました。すなわち、大宇宙の森羅万象はことごとく因と縁によって成り立っていて、どんなものにも固定的な実体というものはないと説く真理です。
 「そんなバカな、この自分の体は自分のものだ」と主張する方があるかと思いますが、よく考えて下さい。本当に自分のものだと信じているこの肉体も、自分の意に反して、年齢を重ねると白髪や抜け毛、シワが増え、腰がまがり、病にかかってやがて死ぬ運命ではありませんか。自分の財産もあの世には一銭も持って行くことは出来ません。自分のものなど、何一つこの世には存在しないのです。ただ、仮に所有しているに過ぎません。
 もっと言えば、元は皆な同じなのです。天地と我と一体、万物と我と同根なのです。それを我々は、勝手に分別しているだけなのです。自己と他を区別し、自分と他人の間に壁を作っているのです。
 『不二』とは、対立を超えた、絶対的平等の無分別の境地をいいます。この不二の境地を「の」の心と「と」の心で表現すると、「私とあなた」は対立していますが、「私のあなた」、「あなたの私」は一体になっています。この「の」の字は、まさに一円相を描くがごとく、まるくなっています。私たちはこの「の」の字の心で他と接すれば、争いもなく、妬(ねた)みや嫉(そね)みもなく、何ものにもとらわれない、広い大きく伸びやかな生き方ができるのではないでしょうか。
我をはるな、心ころころ丸くなれ!です。