法 話

生き甲斐のある人生
『琉璃燈』平成8年12月号

福岡県 ・通玄寺住職  伊藤文教

 人生は一毛作から二毛作、三毛作の時代に移りつつあり、人生80年を幸せに生きぬくためには生涯にわたって心身ともに健康で財力や時間にゆとりのある幸福な一生を送りたいと願わない者はいない。励み学ぶ意欲を持ち続けたいものである。
 釈尊は「生るるは難し、されど今に生きるは尚難し」と訓されている。三世を輪廻し、この幸せな現世に生まれ合わせたことの有難さ、生き甲斐をもって生きることの大切さを教示しているのであろう。
 自分が独りで現世に生まれ、自分独りの力で今日この幸せな生活をつかみ得たなどと思いあがっては罰が当たる。自分を生み育ててくれた父母の恩、教え導いてくれた師の恩、何かと面倒をみてくれた多くの先輩、同僚や周りの人々、そしてこの立派な国土や自然の恵みのお陰で、今の自分があることを再認識したいものである。自分独りで生きているのではなく多くの方々、森羅万象によって生かされているのであり、生かされている己に感謝し、数えきれない程の多くの恵みに報いることが生き甲斐の基本であろう。
 物が豊かすぎて、心が貧しくなり下った時代といわれて久しい。食べたい、飲みたい、見たい、してみたい、聞きたい、着たい、住みたいなど『たい』をつかみどりし得手勝手な欲望をみたすことが、恰も生き甲斐であるかの如き考えは、邪念であり一時的享楽の何者でもない。大切なことは、家庭や社会の中での自分の立場を弁え自分の役割分担を見誤らず己に果せられた事や目標に向って努力していくことに、生き甲斐の眞価を覚えるものである。
 発菩提心涅槃章の一節に


布施や持戒を保ちつゝ
認辱精進怠らず
禅定を修し智慧みがき
日々の行いふりかえり
自利利他ともに圓かなる
生き甲斐のある一生を
おくるぞ人の道とこそ
悟るぞ涅槃の訓えなり

と説いてある。
 反省の上にたって、生かされている自分にめざめ、報恩と感謝、そして自利利他ともに円かな生活こそ真実の生き甲斐のある人生の第一義であると訓してある。そして、人生は、自分の持てる力を振りしぼり、布施や持戒によって利他を計り、忍辱、精進、禅定、智慧によって自利に努め、自ら切り開いていくものだあり、これこそ自力本願、生き甲斐の神髄であると教えている。
 刻苦精励、粉身砕身、苦難を乗り越えて生きていくのが人生である。多忙な毎日に追い廻され、落ち着く暇もない世相である。この、多様化した忙しい社会を全うしていくことは、大へん難しい事かもわからないが、生かされている有難さ、尊さに感謝し、大地にしっかりと足を踏みしめ、栄ある人生を精一ぱい生きぬいていく事こそ、真実の人間としての生き方であり、生き甲斐であろう。
 年を重ね、人生経験を積めば積む程一歩一歩佛に近づき「唯心の浄土己身の弥陀」の境地を得て、やがて人生の終着駅に到着した時、実名ともに成仏し、他人から拝まれるに、ふさわしい人徳のある人になるべく精進する事が生き甲斐のある人生の要諦である。