法 話

幸せの「はひふへほ」
書き下ろし

秋田県 ・開得寺住職  新野建臣

 ある日、知り合いがやってきて、幸せの「はひふへほ」を教えてくれました。ごくやさしいことばなので、すぐ覚えられました。
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幸せの「はひふへほ」

は 半分でいい
ひ 人並みでいい
ふ 普通でいい
へ 平凡でいい
ほ 程々でいい


 なるほどと思って友人に出典を尋ねたところ、わからないという答え。もしこの文を読まれて、出所をご存知の方がいらっしゃるなら、是非教えていただきたいと思います。
 それにしましても、幸せは半分でいいというのは思い切っています。腹八分とか欲八分とは聞いた事がありますが、半分とはずいぶん内輪です。しかし考え方を変えると、私たちの幸せは、自分で形作っているようでいて、そのほとんど他の人たちのお蔭であることが多いと思います。生きている方ばかりでなく、すでに亡くなった方からのプレゼントであることも沢山あります。してみると、生意気を言わず、半分でいいと考えるのが至当かもしれません。私には、どこからか「知足」ということばも聞こえてきます。
 “人並みでいい”と“普通でいい”は、同じようなことばですが、前の方は外側から見て、まわりと同じと述べているような気がします。後の方は私たちの心の内側から当たり前でいいと、つぶやいているような感じがします。“普通でいい”と言う時、私たちは実にリラックスして、ホッとしますから不思議です。
 平凡は非凡に通ずると言いますが、当たり前のことを心を込めてすることは、とても大切なことだと言えます。私たちの宗祖である臨済禅師は、「服を着ることにも、ご飯を食べることにも、トイレに行くことにも心をこめて行なうことが生きていく上の基本です。おろそかにしてはいけません」と述べていますが、平凡なことの中に真実が宿っているのではないでしょうか。
 最後は、中庸といいますか、程々です。気負うことなく、自然体で日を送りたいと思います。友人からもたらされた「はひふへほ」で、私の心も軽くなりました。