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花園禅塾 ボランティア活動〈第一陣〉【総括】

 花園禅塾は近年、災害におけるボランティア活動を重ねてきた。ここ数年活動に赴くことはなかった為、現役学生のほとんどが初めてのボランティア活動となった。
 被害状況は報道で情報を得ていた。谷藤指導員が震災直後に帰郷し、深刻さを京都へ戻り伝えた。
 実際、ボランティアに出動するには多くの難問があった。震度4以上の余震が続く。ガソリンの不足。公共交通機関の損害。食料や飲料の不足。ライフラインの未復旧。福島原発の災害事故による放射能の危険。寝所の確保。現地ボランティアセンターの情報皆無。道の液状化。・・・・・・
 4月の中旬もしくは下旬には第一陣ボランティア隊を出動する方向で検討していたが、断念せざるを得なかった。死者、行方不明者、被害が未曾有の規模災害を京都で新年度をスタートさせていた我々にとって同じ日本国での出来事とは思えない日々を過ごしていた。
 動きたくても現地での活動ができない不甲斐なさに「京都にいながら何ができるのか」「京都にいるからこそできることは何か」自問自答する学生が増えてきた。
 黄金週間を目前に控え、震災後2度目の帰郷を考えていた谷藤指導員が希望する数人の学生と共に個人的に岩手県大槌町での活動を計画し始める。黄金週間中に復旧済みのライフラインに加え、公共交通機関も復旧する情報が出ていたからである。
 その後、報告書通り妙心寺派宗務本所と花園大学、花園禅塾塾心会の御賛同、御支援を賜り第一陣の結成に至った。希望学生は保護者の御理解と御賛同を得てからの参加許可という形をとった。また、体調の優れない者に関しては、現地での感染を防ぐ為配慮した。
 今回の災害は、被害エリアが広範囲であることと、復旧復興の目処が立たない状況である。今回やむを得ず不参加である学生、一般の方から第二陣、第三陣への参加要望を受けている。
 当初、個人的ボランティア活動を考えていた為、第一陣として出動するにあたり、岩手県の大槌町だけに入ることがいいのか、谷藤指導員の自坊付近のみの活動だけでいいのか相談をさせてもらった。しかし、現地での受け入れ体制やどの場所に入っても同じ災害であり、第二陣以降の検討情報にも繋がることから計画を遂行させることになった。
 報道の情報でイメージしていた被害状態を実際生で目撃し、衝撃を受けることから今回の活動を始めた。衝撃を受けた後にまず行ったことは避難所訪問である。黄金週間中にボランティア隊はかなりの数が出入りしているため、毎日違う団体に同じ指示や説明をしなければならない被災者、センター職員の疲労感は否めない。我々団体が、数日訪問してもなかなか認知はされない。そこで、統一ウィンドブレーカーが存在感を発揮した。ウィンドブレーカーを着用していると、子ども達も喜んで集まり、保護者の方も安心して預けてくださった。避難所の担当職員に子ども達が「花園大学のお兄ちゃん達は今度いつ来るの?」と訊ねていると聞いた。
 震災直後の様子と比べ、だいぶ片付いてきたように見えた被害状態。道も確保され、瓦礫も集められ、空気の淀みも潮の香りも薄くなっていたと感じた。しかし、1軒1軒依頼された家に赴くと、家の内外、当時のまま手つかずだったり、庭先に運び出したままであったりしている家ばかりであった。肉体労働となる作業は、
15人くらいで1日作業をしても1軒は終わらない。1軒の一区画が片付く程度であり、無力感を感じたようだ。震災前の光景が少しでも垣間見ることができるよう努めるようにした。庭に積み上げられた瓦礫の所は、庭の通路や花壇の煉瓦などが見えるように片付けを進める。1日やっても終わらなければ、そのような光景を依頼者にお見せできるようにした。少しでも、一区画であっても片付いた光景、震災前の元のなつかしさを感じる光景に片付いた状態を目にする依頼者の表情は厳しさから安堵感らしさも感じたからである。
 また、我がボランティア隊員は被害状況に衝撃を受けた分、黙々と作業に没頭していた。没頭してしまうと周りの状態やガラスなどの危険物、足場の見落としなどに注意力が欠落してしまう為、休憩やミィーティングは必ず時間をとった。
 革手袋しながらでも、ガラス破片で指をかすり切ったり、釘で太股をひっかいたり、家財道具で指をはさむことはあった。しかし、リタイアしなければならないような事故や怪我、病気は発生しなかった。
 いくら我々に想いや考えがあったとしても、現地の方やボランティアセンターの指示には必ず従い、速やかに行動した。指示に従わず、我々の考えを推しても逆に今後のボランティア活動に支障をきたしかねないし、被災者の方々に御迷惑をおかけしてしまうと考えられた。いくら報道で情報を収集していても現場では現場の情報が日々更新されていた。毎日と言ってもいいほど状況は違う。ボランティアセンターはボランティア隊を危険から守る為、自衛隊とも情報を共有しているし、指示に従わないことが一刻も早い復興を願う被災者の依頼(センターの指示以外)に応えたということにとらえられ、センターから被災者へ連絡が通達されることにもなりかねないと判断した。
 現地での物資調達が困難な為、前半組と後半組に分けたことが良かった。前半の活動で必要・不必要と分かった道具や材料、また追加したい物や催促物に応える為に京都の禅塾内活動本部に問い合わせ、調達してもらった。宅急便も可能だが、後半組の現地への移動に併せて積み込んでもらうことができた。
 現地での子ども達は、学校がようやっと始まったばかり。仮校舎だとしても、教科書も辞書も体操着も流されて無いながらも学校生活を取り戻し始めた。夏休みがどのようにして設けられるのかも含めて、現地の情報を常に入手する必要がある。
 日頃の大学での講義や禅塾行事における内容が被災現場での「子どもに接すること」「作務の方法」「状況判断」「臨機応変」「率先垂範」「工夫すること」「炊き出し典座」「手を合わせて諷経をする」・・・ことなどに大いに反映されていた。
 日々状況が変わる中、ボランティア活動にも変動があると推察される。学生らも次回以降の現地での活動に向けて考えている。安全第一、和合専一に進める為にも現地情報や本部間情報の共有は必要と考えられる。

第一陣の全体活動報告はこちらのPDFで。

FACEBOOKページ "東日本大震災-禅僧たちの活動"も御覧ください。

by 管理者  at 23:00
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