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釈宗演伝−禅とZENを伝えた明治の高僧−

商品番号
SOUEN
2,700 円(税込)
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明治の高僧釈宗演(しゃくそうえん)は、今北洪川の法を嗣ぐ禅僧だが、34歳の若さにして鎌倉円覚寺の管長となり、その後、全世界を駆け巡って禅仏教を布教。さらに鈴木大拙を渡米させ、西洋世界に禅を伝え、仏教東漸の先駆者となった。二十世紀を代表する高僧、釈宗演禅師の未曾有の生涯を、未公開の手記や日記、豊富な資料でたどる。
井上禅定著
B6判並製 352頁 2000.2.1 発行
ISBN978-4-88182-152-7 C0015



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【もくじ】
目 次(略年譜)
  序 文
衣のほころび 一歳~二十歳(安政六年~明治十一年)
生縁(安政六年十二月十八日)
予が幼時
予が家庭
予が出家(明治三年)
初めて寺に入る
師に随って尾州に入る
四ッ谷より古渡に移さる
京都へ還る
師に従って小方丈へ移る(付けたり般若林のこと)
少時の日課、並びに娯楽
始めて建仁寺へ寄留す(明治六年)
俊崖老師の雅量に感ず
俊崖師の追悼接心
還って本師に侍す(付けたり伊予行脚、三井修行)
道念堅固
備前の曹源寺(明治十年)
三たび妙心寺へ還る
禅師の訃、并びに円鑑国師の遠忌
円覚僧堂時代 二十歳~二十九歳(明治十一年~明治二十年)
円覚僧堂掛錫(明治十一年)
円覚僧堂苦修
洪川に嗣法(明治十六年)
円覚の宗演
慶応義塾入学(明治十八年)
洪川の訓導
慶応義塾宿舎より
聖胎長養
西遊日記 二十九歳~三十一歳(明治二十年~明治二十二年)
セイロン行
帰朝・管長就任 三十一歳~三十四歳(明治二十二年~明治二十五年)
賞帖授与
宝林開講
大拙鈴木貞太郎来参
蒼龍広録出版
円覚管長就任(明治二十五年)
鈴木貞太郎の英訳
渡米・万国宗教大会 三十五歳(明治二十六年)
万国宗教大会
ケーラス家訪問
宗教大会閉会
「仏教伝通概論」
シカゴより帰国
明治二十七年 三十六歳
『蒼龍窟年譜』
末寺巡化
元良博士の参禅日誌
夏目漱石の参禅
漱石の見解
大拙と漱石―帰源院に同宿―
明治二十八年 三十七歳
大休宗悦を証明
各地の接化
大拙の渡米
大拙渡米第一信
神津黙翁への教導
明治二十九年 三十八歳
明治三十年 三十九歳(鈴木大拙渡米)
明治三十一年 四十歳
明治三十二年 四十一歳(自伝「衣のほころび」執筆、未完)
明治三十三年 四十二歳
明治三十四年 四十三歳
植村宗光師
修養座右の銘
東奔西走
明治三十五年 四十四歳(米人ラッセル夫人来参)
明治三十六年 四十五歳(建長寺派管長兼職)
明治三十七年 四十六歳
日露戦争従軍布教
明治三十八年 四十七歳
管長辞任・東慶寺遷住
欧米雲水記 四十七歳~四十八歳(明治三十八年~明治三十九年)
アメリカ布教
鈴木大拙と植村宗光
宗光師の最期
宗光師追悼
後の大拙夫人ビアトリスとの出合い
英・欧巡遊
セイロン
印度
菩提樹下発願文
仏陀伽耶の高塔
印度よりセイロン(日記抄録)
セイロンより帰山
外遊帰山後
明治四十年 四十九歳
明治四十一年 五十歳
明治四十二年 五十一歳
鈴木大拙帰国
明治四十三年 五十二歳
明治四十四年 五十三歳
明治四十五年 五十四歳(朝鮮・満洲巡化)
大正二年 五十五歳(台湾巡化)
大正三年 五十六歳(臨済宗大学々長に就任)
大正四年 五十七歳(英人カービー参学得度)
大正五年 五十八歳(円覚寺派管長再任)
大正六年 五十九歳(臨済宗大学々長を辞任、朝鮮・満洲巡化)
大正七年 六十歳
大正八年 六十一歳(十一月一日、遷化)
 付録 「禅道」釈宗演禅師謝恩号より(大正九年一月)
  楞伽老師を悼む――鈴木大拙
  宗演老漢――徳富蘇峰
  智情意具備の人――峰尾大休
  父さん母さん――吉川泰嶽

あとがき