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白隠禅師法語全集 第9冊 遠羅天釜 上・中・下・續集

商品番号
ORADE
3,630 円(税込)
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◆内容紹介◆
巻之上
肥前蓮池藩主の鍋島直恒に与えた法語。内観による養生法を具体的に説き、坐禅中だけでなく、日常生活における「動中の工夫」の重要性を示したもの。すなわち、さまざまな社会生活をしながら、出家者と少しも変わらぬ道果を得られるのだと、「欲界にあって禅を行ずる」法を述べ、在家禅を指南した一書である。その養生法については、禅師のもう一つの代表作である『夜船閑話』とあわせ読むことによって、より理解を深めることができるであろう。

巻之中
病気で臥せっている修行者に、病中の工夫について示したもの。その大部分が、白隠が若いときに、信州飯山の正受老人から教諭された内容である。正受老人の教化を知るための好資料でもある。

巻之下
法華経の心髄を説いたもの。法華経の至極の旨は、つまるところ「心」の一字に帰する。心外無法、三界唯心、万物と一体である自己の真性、自心の妙法、この法華の真面目を見届けよ、とすすめる。白隠の法華経観を端的に示した好篇である。

続集
念仏と公案との関係について述べたもの。両者のあいだに優劣はないとはするものの、来世に西方浄土に往生することを希望する姿勢をやめて、念仏をも工夫の手段として、見性すること、すなわち自己の心源にある浄土をこそ見届けなければならないとすすめる。
 末尾に付された「客の難ずるに答う」は、白隠の弟子である斯経が補説したもの。極楽浄土は方便の幻化であって実体のないものである。白隠禅師が示すのは、そのような浄土ではない。いっさいに遍満している真理としての浄土である。

有でもなければ無でもない。言葉を超えた妙なる心性。具体的な内観法、動中の工夫を通し、人々に本来具わる自性を、はっきり見届けよとすすめる。 
訳注 芳澤勝弘 四六判 696頁 2001.3.16 発行
ISBN978-4-88182-140-4 C0015



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【もくじ】
おらでがま 巻の上 (意訳)

鍋島摂津守への答書/内観と養生の秘訣/摩訶止觀/まずは養生/動中の工夫/声色堆裏に坐臥すべし/六塵を取らず捨てず/欲に在って禅を行ず/火裏の蓮/内観の具体的方法/男の中の男が抱くべき抱負/誤った無事禅/白幽仙人の内観法/わが内に丹を錬る/気を下に収める/養生は一国を守るようなもの/主心を定める/地獄に落ちた聖賢の話/多忙の中で工夫していく/正受老人の不断坐禅/耕しつつ戦う方法/静処の工夫でははたらきが出ない/在家禅/得力の深さは修行の方法による/正念工夫の具体的方法/得力を点検するための語/向上の公案/無事禅の悪弊/憂うべき禅界の現状/参禅は妄念と戦うこと/古の聖賢の苦修ぶり/古の武士の修行ぶり/おらでがま 巻の中 (意訳)/遠方のさる病僧への書/正受老人の示諭/病中ほどよい修行の場はない/腫れ物を患った老僧の工夫/病こそわが先生/ある真言僧の病中の工夫/中国の禅僧の例/正念とは何か/現代の職業坊主の風潮/正受老人、狼の中で坐禅/軟酥の法/おらでがま 巻の下 (意訳)/法華宗の老尼への手紙/心の外に法華経なく、法華経の外に心なし/妙法蓮華経は妙法に、妙法は心に帰する/妙ということ/蓮華とは/経とは/三種の法華経行者/真の法華経は無事経/法華の真面目を見届けよ/まず大疑団をおこす、「心とは何ものぞ」/我が世界で世界が我/無事禅のあやまり/いずれの宗旨にも優劣はない/浄土は遠くはない/わが心でわが心を見る/美田を相続した子供たちの話/自暴自棄の人/浄土の真っ只中にいながら気がつかぬ/諸仏は仏智見を開かせるために出現なされた/長者窮子のたとえ/人から教えられて仏法は手に入らぬ/自心の妙法を見届けよ/瓦を磨いても鏡にはならぬ/見性こそ仏法/外ではなく内に向かって求めよ/獅子人を咬むの法/(旧友の僧の批判に答える)/ある僧の批判/松蔭寺での苦修ぶり/凶年飢歳の時ならではの修行/かつて大悟はしたが、道力の得られぬ僧の告白/一旦の小悟を守ってはならぬ/金を拾った兄弟の話/落ちぶれた弟と成功した兄/金を守り続けて落ちぶれた弟/金を使って成功した兄/智恵あれば方便も真金/上には上がある/一旦の悟りを守ってはならぬ/百尺竿頭に一歩を進めよ/白隠の自伝。地獄の話を聞いて発心/十五で出家/法華経に落胆する/二十二歳、初めて見性/二十四歳、越後で大悟/飯山の正受庵へ/正受老人に罵倒される/南泉遷化の公案/大悟の歓喜/虚堂の偈を透る/荷葉団々の偈を透る/雪を聴いて悟る/母の夢を見る/明暗二つの鏡/法華経を読んで徹見/一旦の所見をいつまでも後生大事にしてはならぬ/海は入れば入るほど深い//遠羅天釜の跋/おらでがま 続集 (意訳)/念仏と公案とどちらが優れているかという問いに答える書/公案と念仏は手段として同じか/いかなる修行法も目的は同じ/方法如何ではない、大事なのは勇猛心/本具の自性が浄土/浄土は西方にあるのではない/当処に浄土が現前する/念仏行者、円恕と円愚/赤沢の即応上人/念仏は仏知を開くための手段/非難しあう禅と浄土/宗旨も手段の違い/手段を論じて目的を忘れてはならぬ/念仏で往生できるとは限らぬ/を切らねば船は出ぬ/まずは命根を断絶すること/無我のみ涅槃にかなう/無我にも二つある/懸崖に手を撒せよ/見性のほかに浄土はない/蓮如上人の不来迎の説/法然上人の教外の心宗/恵心僧都の悟り/明遍僧都の修行/禅はあくまでも孤危嶮峻/念仏はあくまでも下って救い取る/無字の公案/大疑団の現前/疑団になりきる方法/禅浄双修のはじまり/禅浄双修は禅をほろぼす/客の非難に答える(斯経和尚による補説)/極楽浄土はあるのか/浄土は幻化の説にすぎない/真理としての浄土がある/浄土は空間を超えたもの/禅浄双修の批判は禅門内部への警鐘/仏智の本質は一切を映し出す宝珠/能依と所依/一切万物が宝珠である/禅はずばり宝珠を指し示す/極楽は方便/浄土は形をはなれたもの/禅は無念の念仏/あらゆる形を超え、そこにある仏の浄土/非幻をもって幻を幻とする/水月道場に坐し、空華の万行を修す/方便をまったく否定し去るのではない/方便なくして仏教はない/あとがき

遠羅天釜(本文・注)
卷之上 遠羅天釜序
    「鍋島椄州殿下ノ近侍ニ答ウル書」
卷之中 「遠方ノ病僧ニ贈リシ書」
卷之下 「法華宗ノ老尼ニ贈リシ書」
    (舊友の僧の批判に答える)
    (遠羅天釜跋)
續集  「念仏ト公案ト優劣如何ノ問イニ答フル書」
    「答客難」(斯經慧梁撰)
    遠羅天釜跋
解説
資料『釜斯幾』烏有道人著
遠羅天釜 (原本影印)
卷之上
卷之中
卷之下
續集の跋