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「〔法話〕涅槃会―おのれのよるべ―

 二月十五日は、お釈迦さまがお亡くなりになられた日「涅槃会」です。涅槃=ニルバーナとは「吹き消す」という意です。煩悩・妄想がなくなったということです。
 お釈迦さまの最後のご説法は「汝自(みずか)らを灯(ともしび)とし、汝自(みずか)らをよりどころとせよ。法を灯とし、法をよりどころとせよ」(これからは自分自身を灯・よりどころとして生きなさい。私がこれまで説いた法(おしえ)をよりどころとして生きなさい)です。ここのところを法句経では

  おのれこそ おのれのよるべ
  おのれを措(お)きて 誰によるべぞ
  よく調(ととの)えし おのれにこそ
  まこと得難(えがた)き よるべをぞ得ん
              (法句経一六〇)

と、示されています「自分自身をよりどころとして生きなさい」と。そのよりどころとする自分は、我見・我欲の自分ではなく、よく心が調えられた自分でなければなりません。
 仏の十号の一つに「調御丈夫(ちょうぎょじょうぶ)」(心を調えられた人)とあります。この心を調える方法として、わが宗門では「坐禅」があります。
 当山では、毎週日曜日の朝「坐禅会」を行っています。数年前より車で片道一時間かかる所からW外科医が参加しています。外科医ですから手術をします。普通の手術はよいのですが困るのは「癌」です。告知できればよいのですが、癌の場合ほとんど本人には知らせません。自分の言葉や動作から病名が知れるのでは?と、いつも心が落ち着きません。「坐禅をすると心が調う」ということを耳にし、坐禅を始めるようになりました。
 その外科医が「最近やっと患者さんの話が聞けるようになりました」と言っています。心が調ってきたのです。「心を調えて手術に向い、また患者の身になって相談にものれるようになってきました」とも言っています。
 お釈迦さまは「心が調った自分を、自分のよりどころとして生きなさい」と、最後の説法で示されました。

森 哲外(大分・福正寺住職)