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「〔法話〕仏法にあうことの大切さ」

 涅槃会は、二月十五日釈尊入滅の忌日にあたり、この日大涅槃に入り給うたことから「涅槃会」といいます。この涅槃会には、古来より涅槃像を方丈に懸け法要を修します。釈尊が沙羅双樹の間に頭北面西に臥され、その周囲には多くの弟子たちから天頭鬼畜に至るまで五十二類に及ぶものたちが集まり慟哭している有様を画いたものであり、東福寺の兆殿司が画いた大涅槃像は文化財としても有名であります。入滅された世尊との惜別の情をこれ程までに切実に画かれた画像は他にみることが出来ないのであります。その涅槃像の中で一人の老婆が足もとに跪(ひざまず)いて咽び泣き哀しみに戦(おのの)く姿が印象深く描かれています。
 若くて美しい婦人が、釈尊の教えを聞き仏教の信者になろうと釈尊の在(い)ます説法の地に出かけるのですが、釈尊は已(すで)にその地を旅立たれた後であり、あとを追って行くけれども遂にめぐり遭うことが出来なかったのであります。身は貧しく年老いて漸くこの地にたどり着いたときは、すでに釈尊は涅槃に入り給うたあとでありました。老婆は御足(おみあし)にすがって泣きながら
 「どうぞ、来世は常にみ仏を拝むことのできるようにして下さい」
となげく涙のしずくが釈尊の御足を漏したと大涅槃経にあります。
  人身受け難(かた)し 今すでに受く
  仏法聞き難(かた)し 今すでに聞く
  この身今生において度せずんば
  いずれの生においてかこの身を度せん
 現代に生きる私たちの生活も、また人間としての一生も、この若き婦人が年老いてなお聞法の縁にめぐり遭えなかったように、仏法の中にあってみ仏の教えに遭うことのない生き方をしているのでは無いでしょうか。いま生きている間に仏法に遇わさせていただくことの大切さが「涅槃」という厳粛な真理(おしえ)のなかで説き示されています。
 釈尊は静かに最後の説法をなされました。
 「では弟子たちよ、私はあなたたちに言おう、生きとし生ける者は、みな滅んで亡くなってゆく、みな怠ることなく、自分の道を忘れず努力して進むがよい。」と、私たちが生涯学んでいかなければならないと思います。

大野 鍈宗(愛知・林貞寺先住職)