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「〔法話〕生きざま 死にざま」

 禅宗寺院で必ず読まれる大慧禅師発願文に、「某甲(それがし)、臨命終の時、小病小悩七日已前に豫(あらかじめ)死の至らんことを知って、安住正念、末期(まつご)自在にこの身を捨て了って。」(後略)とあります。七日已前に死期を知ることは、大修行底の人でないとなかなかできないことです。
 お釈迦さまは、三十五歳でお悟りを開きになられ、八十歳でお亡くなりになるまで、あの広いインド平原をくまなく、人間が生老病死の苦しみから救われるために、どのように生きたらよいかと、ご説法を続けられました。しかし、ついに死の近きを悟られ、故郷のマガダへ帰ろうと向きをかえられました。しかし、途中クシナガラで、重病にとりつかれ、背骨は痛み、下痢もはげしく、血便も下りましたので、この地を最後の地と定め、娑羅樹の根元に横になられました。この時のご様子は、涅槃図に描かれているとおりです。
 お釈迦さまは、お弟子さま方に最後のご遺誡を諄々とお説きになられました。阿難尊者が「世尊のなき後、何を頼りに生きたらよろしいでしょうか。」と尋ねられますと、お釈迦さまは、最後の力をふりしぼって、「私は死なない。何を悲しむことがあろう。たとえ肉体は灰となっても、わが生涯の力をこめた説法は汝等の生命となり、汝等の魂の中に残る。そこに私はいつも生きている。わが教えを信じ、わが法を行う者の中に、私は永久に活(い)きている。法身は不滅である。唯信じ行え、私はそこに現われる。」とお教えになられ、お涅槃にお入りなされました。
 何と偉大なお最後ではありませんか。
 六十年安保改定で、日本の政情不安の時代に、長くアメリカ駐日大使として親しまれていた、ライシャワー博士が亡くなられました。博士は日本に生まれ、日本で育ち、日本をこよなく愛した親日家として、大変尊敬されておりました。博士の最期も実に立派でした。新聞で知り得たことですが、妻ハルさんとの間に四人の子供さんと、九人のお孫さんがおられ、夏休みを利用して博士の下に集まりました。博士は一人一人と最後のお話しをして、全体で記念写真を撮られました。その後二時間で入院しました。子供さん達がお別れしてまだ一人も家に帰り着いていない時でした。博士は死の時を覚悟していたのだと思います。最近医学が発達し、色々な機械や薬で、一時間でも二時間でも延命策がとられますが、博士は遺言して、一切の延命治療を断り、敢然と尊厳死されました。そしてまたこれも遺言で、お骨は家族全員で太平洋上、日本とアメリカの中間地で海にまかれました。死んでまでも、日米の固い絆を願われていたのです。
 博士もまた、大修行底の人と言ってよいと思います。
 さて、個人的なお話でまことに申し訳ありませんが、私の母の最期を語ってみたいと思います。母は昭和三十二年七十七歳のお祝いをしました。少し太り気味で、血圧も少し高かったのですが、大変丈夫で、いつもニコニコと元気で、朗らかな生活を送っていました。この年の十二月三十一日、一年のチリを払い落とし、兄嫁と正月の準備をとどこおりなく終え、最後にお風呂に入り、一言、「アア、いい湯だなあ。」と言ってあっけなく、サッサとこの世におさらばしました。誰の力も借りず、自分で湯灌までして。私はこの死にざまを見て、「立派だなァ。」と驚嘆しました。私も死ぬ時はこんなでありたいと思いました。親族親戚が集まって今後の相談をしている間中、母の枕元で仏遺教経を読んでいる老父の声だけが続いておりました。
 こんな死にざまのできた母を思いました。誰にでもできることではありません。こんな死にざまができるとは、その人が生前どんな生きざまをしたかということです。世間一般の人々は、ボケたくない。どうせ死ぬならポックリ行きたいと願っています。何がしかのお布施を出せば、ポックリ死ねるポックリ寺がはやっているとか、いつか新聞で読みました。そんな簡単なものではないと思います。
 私の母は小学校四年しか出ていません。独学でお裁縫の先生の免状を取り、村の娘さんを教え、「お師匠(おっしょう)さん、お師匠(おっしょう)さん。」と慕われていました。大正の初め、県下で一番早く、女子青年団の前身である処女会を結成し、村おこしに活躍しました。大正十二年関東大震災の時は、処女会を引き連れて、米や食料品をいっぱい持って、何回も東京へ慰問に行ったりもしました。村の処女会を県下大合同にまとめ上げたりもしました。貧乏寺で父は村役場に勤務し、寺の仕事は母が一手にとりしきりました。処女会の発展のために、県や国に幾度か陳情に出掛けたり、私を捨てて、大活躍しているかつての母親の面影がいつも目に浮かんでまいります。清見寺の古川大航老師(当時妙心寺派管長)さまから、耀徳院曦山智照禅尼の法号をいただきました。

服部 道英(静岡・乾徳禅寺先住職)