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「《法話》帝釈天」

 帝釈天は、インド古来の武勇の神で、後に仏法の守護神となりました。帝釈天は、六道のうち、忉利天という天の世界の主として、須弥山頂上の喜見城に住み、その配下の四天王は、その使者と共に人間界におりてきて人々の善悪の行いを観察し帝釈天に報告するといわれます。

 あるお爺さんの葬儀後の火葬場での話です。火葬場に入ると、小学生のお孫さんが、「エレベーターが沢山ある。」と言って驚いていました。親戚のおじさんが、「このエレベーターはな。良い事をした人は上へあがって極楽に行くが、悪い事をした人は、下へさがって地獄に行くんだよ。」と言いました。子供が、「お爺さんは上へ行けたの?」と聞くと、「沢山いいことをしたから、上へ行ってるよ。」と答えて、子供は安心したのです。おじさんの機転に感銘を受けました。

 一昔前は、親が子供に「仏さんが見てるよ。」としつけたものです。しかし今、そのような親は少ないように感じます。私達は、良い事もすれば、誰も見ていないからと悪い事もします。私達の心は、今こうして生きている間にも、エレベーターで天へ上がったり地獄へ下がったりしているのです。

 「仏さんが見てるよ。」と言われて育った子供は、悪いことをしてしまったら、「仏さんごめんなさい。」と謝ります。そういった仏様に見守られた生活を送ることが私達の心を次第に上へ上へと清らかな心にしていくことでしょう。
 法句経に「もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行う。おのれのこころを浄くす。これ諸仏の教えなり。」とあります。悪い事をしないように努めると、自ずと心が清らかになる。そうして自分自身が心の底から悪い事ができないと思えるようになった人が仏さんではないでしょうか。

 お釈迦様は、私達と同じ人間として善悪に揺れる心に悩まれ、苦しんだ末にそれを乗り越えられました。涅槃図の中で涙をふく帝釈天の姿は、お釈迦様をずっと見守ってきて流された涙に思えます。

木村 宗凰(広島・觀音寺副住職)

【解説】帝釈天……永田 陽光(花園大学学生)