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「《法話》速疾鬼」

 お釈迦様が亡くなられたとき、お釈迦様の歯を盗んで逃げた速疾鬼。本堂で朝のお経をあげて、引き続きお寺の玄関にいらっしゃる韋駄天さんにお経をあげるとき、私はこの韋駄天さんに捕まえられた速疾鬼のことを時々考えます。

 私の実家は山口県ですが、戦前、父がまだ子供の頃、実家の近くのお寺に「鬼」が住んでいた、という話を聞いたことがあります。本当の鬼ではありませんが、天を突くような巨体の寺男(お寺に住み込んで下働きをする人)だったと言います。初老でしたが力が強く、眼光鋭く無口で、近所の子供達から「鬼」呼ばわりされるに十分な風貌でした。

 しかし子供だった私の父はあるとき親類の法事の席で寺の和尚さんに「鬼」の正体を聞きます。その人は大正十二年の関東大震災で奥さんや子供を失った相撲取りだったのです。家族を失った悲しみで関東から落ち流れてきたその男は、大阪で傷害事件を起こし、広島で物を盗んで山口まで逃げてきたところを、その寺の和尚が寺男として迎え入れたのでした。大阪や広島にはわざわざ和尚が頭を下げに行ったということです。

 戦争が始まり、空襲で街が焼かれた時、防空壕に逃げていた私の父は、思いがけぬ光景を見ます。「鬼」が父の友達2人を両腕に抱え走ってくると、ぽいぽいっと友達を防空壕に投げ入れ、また他の子供や老人を抱えてきてはぽいぽいっと投げ入れる、そして頭上のB‐29に向かって「うおー」と叫びながらまた出て行った。その後「鬼」を見てないが、どうなったろうか、と私の父は回想します。

 速疾鬼のことを考えると、私はこの鬼の話を思い出します。
 速疾鬼は何故お釈迦様の歯を盗んだのでしょう。きっと心に深い闇や悲しみがあったんじゃないでしょうか。そんな速疾鬼も後には改心して仏教の守護神になります。仏教には「許す」という広い心があります。速疾鬼も件の「鬼」もきっと仏教によって心を救われたんだなあ、と思うのです。

清水 円俊(福岡・修林庵住職)