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「《法話》跋難陀龍王・難陀龍王」

 涅槃図において「跋難陀龍王・難陀龍王」は、お釈迦様が眠られている宝床より右手に、龍が人物に巻き付く姿で描かれ、異彩を放っています。
 龍王は、水を司る鬼神とされ、雲を呼び雨を降らせると言われております。龍といえば妙心寺の法堂を始め多くの御堂に描かれており、お参りに来る者達に法の雨を降らせると言われています。しかし、時に嵐を呼び、雲を呼び、雨を降らせる龍王でさえ、お釈迦様の臨終に際しては、自らも涙を流して悲しんでいるのです。

 龍王は水を司るとされておりますが、我々においても水は非常に大切です。現に、私達の身体の60パーセントは水で出来ており、水なしでは生きていく事は出来ません。私達が雨だれの音や小川のせせらぎといった水の音を聞くと、何故か心がふと落ち着くのも、我々の身体に流れる水が共鳴しているからではないでしょうか。

 私達は、慌ただしい毎日の生活に追われ、時に悩み時に苦しんだりします。このような時には、色々な所で身体の巡りが悪くなり、体調を崩したり心が不安定になったりします。言わば身体や心が、水たまりの状態になってしまっているといえるのではないでしょうか。水は天から大地へと降り注がれ、川となって流れ命を育み、また天にかえっていきます。この大きな自然の中での循環があるからこそ、地球が誕生して以来、決して絶えることなく続いて来た命があるのです。

 亡くなられたお釈迦様の側で涙を流す者達は、深い悲しみの中にあり、正に心と身体の循環が止まってしまっている状態だと言えます。しかし、生きとし生ける全ての命の根源となる水を司る龍王は、お釈迦様を亡くした悲しみに暮れながらも、お釈迦様の残された法の雨を降らせる事で、多くの悩み苦しむ者達を救っているのです。

 皆さんも雨音や小川のせせらぎの中に龍王の心を感じ、心と身体の水たまりを小川のせせらぎに変えて、命の営みを感じてみては如何でしょうか。

桐野 祥陽(京都・大泉寺住職)