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「《法話》目連尊者」

 目連はお釈迦様の十大弟子の一人で、神通第一と称されます。当時のインドの発音ではマウドガリャーヤナであり、漢訳教典では、目連または目犍連と表記されます。
 目連尊者は舎利弗(シャリホツ)尊者と一緒にお釈迦様の弟子になられました。二人とも最初からお釈迦様の側に坐ることが許されました。涅槃図のおいても、沙羅双樹のもとで休まれるお釈迦様のすぐ近く手前、または奥に描かれています。
 夏のお盆は国民的行事ですが、その元となったのが、目連尊者とその母の故事です。目蓮尊者はある時神通力を働かして亡き母の様子を探りましたが、母は餓鬼道に落ちて苦しんでいました。それは母が我が子可愛さのために犯した罪のせいでした。目蓮尊者はお釈迦様のお導きにより、無事、母を餓鬼道から救うことができました。同様にして餓鬼道に落ちたその他全ての人々も救われたのでした。
 目蓮尊者のような立派な方を産み育てた母がなぜ餓鬼道に落ちたのでしょう。私はそれが腑に落ちませんでした。しかしある時、そんなに立派な母だからこそ餓鬼道に落ちたのだ、と思い当たることがありました。それは、多くの餓鬼道に落ちた人々が救われる道が示されなければならなかったからではないのか、と言うことでした。
 私は以前、家庭が面白くなく、親に乱暴をしたり、暴走族にはいって暴走行為をする若者に接したことがあります。彼はこういいました。「親が仲良うしてくれさえすりゃぁ、わいが暴れることはなかったかもしれん。」ひょっとしたらこの若者は、両親の関係が修復されるためにその役回りをしたのかもしれないのです。
 目蓮尊者の母が餓鬼道に落ちたのは、他の人々も救われるためだったのであり、私が接した若者は、家庭に平穏を取り戻すために自ら修羅の道に入ったではないのでしょうか。彼のご両親がこのように考えてくださった時、この一家が家庭を取り戻す道筋が見えてくるかもしれない、と思いました。

豊岳 慈明(岡山・豊昌寺住職)

【解説】目連尊者……吉田 叡禮(花園大学准教授)