« 《法話》目連尊者 | メイン | 《法話》帝釈天 »

「《法話》摩耶夫人」

 摩耶夫人は、お釈迦様の御生母であります。「マーヤー」はまぼろしという意味で、仏典を中国で翻訳するときに「摩耶夫人」の音写のほか、「大幻化女」と意訳されています。この意訳はお釈迦様を出産後七日にして他界し忉利天に生まれたと記されている夫人に対する後世の仏教徒の考えによるものであると考えられているようです。
 さて涅槃図では天上より阿那律に導かれて下降する母摩耶夫人はお釈迦様の横臥する沙羅双樹の茂みのはるか上空の雲中で侍女を従え袖をたくし上げて悲しみに泣き濡れておられます。そして、その容姿はお釈迦様と死別した当時の若いお姿そのままであります。母の面影もしらぬお釈迦様にとって亡き母への追憶の情を涅槃図の作者は汲み取って描き表したのでしょう。 
 お釈迦様にとって死期を悟られてからの伝道は生母摩耶夫人を慕う最後の遊行ではなかったのではないでしょうか。双樹で涅槃に入られた西の方角には摩耶夫人のお墓が安置されているのであります。人間釈迦にとって自分の出生によって亡くなられた母に対する沈痛の思いや望郷の念と感じ取るのは凡夫の浅はかな妄想でしょうか。
 私の師父も十歳の時、母を亡くしています。ある時、何気ない会話の中で「父親と母親とどちらが残ったら良いか」と尋ねると、普段は無口な父が即座に「母親が残ったが良いに決まっとる」と言い切りました。子どもは幼い頃、こちらがどんなにあやしても可愛がっても最後は必ず母の元へと甘えに帰ります。子どもにとって母親は絶対であります。母親の慈しみと愛情に縁の薄い父にとっては幾つになっても母を慕いつづける思いの強さを感じました。

  十億の人に十億の母あれど
      わが母にまさる母あらめやも  (暁烏 敏)

 他の誰よりも自分を産んでくれた母より他にすばらしい母はおらないのであります。そして、歴史にもしもという事はないけれども、もしも摩耶夫人がお釈迦様出生後も健在ならば、仏陀の出現も無かったかも知れないと思うと摩耶夫人の非業の死は偉大なるお慈悲の賜物だと思うのです。

竺 泰道(大分・法雲寺住職)

【解説】摩耶夫人……奥田 智勝(花園禅塾卒塾生・龍谷大学学生)