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「《法話》観世音菩薩」

 お釈迦様は2月15日に亡くなられました。お釈迦様が亡くなられる事を「涅槃に入る」といい、この様子を図に描いたものを「涅槃図」と呼んでおります。毎年この日には、涅槃図を本堂の中央に掲げ、涅槃会として亡きお釈迦様のご遺徳を偲んでおります。
 この涅槃図の中には、お釈迦様の死を悼む様々な動物や人物が描かれており、その中に「観世音菩薩」も描かれております。菩薩とは、自ら衆生と仏の橋渡しとなり、「自未得度 先度他」(自分の悟りはさておいてでも迷える衆生を救うんだ)という「誓願」をお立てになり、自らも厳しい修行をされておられます。そして「観世音」とは、世の音を観る。つまり、世の音声を観じて苦悩を解いて下さるという事です。

 亡くなられ、物言わぬお釈迦様の声なき声を聞き、音なき音を聞いている。そして、その周りで嘆き悲しむ者達の声を聞き、その姿を見る事で、如何にしてお釈迦様の教えを広め、多くの悩める者達を救えるか、という事をお考えになられているのではないかと思います。自分自身も悲しみのどん底にありながら、泣き崩れる者達を救わんが為に、その悲しみの声やお姿を菩薩様自身の身体全体で観じておられるように見えてなりません。

 しかし、世の音を聞き悩める者達を救うとは言うものの、実際に我々の苦しむ声を聞き、救いの手を差し伸べて下さる訳では御座いません。自らが世の音を聞いてご修行されている様に、あなた方も世の音をしっかり聞いて修行しなさいよ、と御示し下さっているのではないでしょうか。

 私達は今、一度も途切れる事なく続いてきた命のバトンをその身体一杯に持って生きています。この間にも、大いなる自然の中、多くの人々と出会い日々暮らしております。その中で、楽しい時の音、苦しい時の音、色んな状況を見たり聞いたりして、揺り動く心が御座います。亡くなられたお釈迦様を前にしても尚、他の者達を救おうとされる観世音菩薩様の御心を観じながら、自分を取り巻くすべての音に心の耳を傾けてみては如何でしょうか。

桐野 祥陽(京都・大泉寺住職)

【解説】観世音菩薩……五葉 鉄(花園大学学生)