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「《法話》耆婆(ぎば)」

 日本や中国では名医を四字熟語で「耆婆扁鵲(ぎばへんじゃく)」と申します。
 扁鵲は中国・戦国時代の伝説的な名医で、耆婆はインドの名はジーヴァカといい、中国で耆婆と音訳されました。
 この方はお釈迦様の主治医を務められ、またマガダ国の大臣も務められ「耆婆大臣」とも呼ばれます。医王として時の人に崇仰せられたが、自らも仏教を深く信じ、外護者となった方であります。お釈迦様の風疾の治療の他にも、阿難が背の腫れ物に苦しんでいる時、阿難の聞法の熱心さを知っていた耆婆は、お釈迦様の説法中、腫れ物を切開し膿を出し治療したが、阿難は全く気付かなかった程の名医であったそうです。

 耆婆の事である経典にこのような話がございます。耆婆が若い頃医者になる為に勉強をしていた時のことです。先生から籠と草を刈る道具を与えられ、「どこでもよいので10キロ四方に土地を区切り、その土地の中で薬にならない草木があれば、それを採ってきなさい」と命じられました。言われた通り耆婆は土地を区切って草木を調べましたがどれも薬になるものばかりで、薬にならない木は見つかりませんでした。耆婆はその事を先生に報告しました。すると先生は「よろしい。お前は医術を全て修得した。もう教える事は無い。私のもとを去るがよい」と言われ、耆婆に医者の免許を与えた。

 この話は、この世の中になくていいものなど一つもない。という仏教の大事な教えを伝えているのです。私達はこれは使える、あれは使えないと自分勝手な尺度で物事を見てしまいます。そうではなく我を取り除いた無我で見てみればこの世に何一つとして無駄な物などないと気付く事が出来るのではないでしょうか。お釈迦は菩提樹の下で「山川草木悉皆成仏」と覚られました。お釈迦様が涅槃に入るまで五〇年の生涯を懸けて人々に説いたこの教えを私達もしっかりと自覚することが出来ればより好い生き方になるでしょう。

華山 泰玄(岡山・少林寺住職)

【解説】耆婆(ぎば)……土居 祐人(花園大学学生)