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「《法話》純陀(チュンダ)」

 -供養したのはお米?きのこ?豚肉?-

 漢字名で純陀、周那、淳陀、准陀。下に長者が付くこともあり、日光長者の名になっていることもあります。
 涅槃図においては、大抵の場合お釈迦様の横たわっている宝床の右前で泣き伏していますが、まれに供物を捧げる姿のものもあります。
 チュンダは鍛冶工の子であり、鏡を磨く職人だったとの説もあります。
 チュンダはお釈迦様に最後の食事を供養した人です。その食事を食べられた後、お釈迦様は病が重くなり、その結果涅槃に入られたので(亡くなられたので)、チュンダは大変後悔します。
 しかしお釈迦様自身はもう3ヶ月も前から自らの死を予測されておりました。ですからお釈迦様は同行していた阿難に、「私が悟りを開く時にスジャータが供養してくれた乳粥と、チュンダの供養してくれた食事には同じだけの功徳がある。そのことをチュンダに伝えてきなさい」と言われ、チュンダの心を慰められました。
 さて、ここでいつも議論になるのが、チュンダは何をお釈迦様に供養したのか?ということです。日本においては明治の初めまで、お釈迦様は背中の痛みによって涅槃に入られたとされていました。ですからチュンダは八石の米を供養した、という記述にとどまっていたのです。
 しかし、19世紀初頭から西洋では仏典の研究が進んでおり、パーリ語の「大般涅槃経」を訳した際に、語意の直訳が原因でチュンダが供養したのは「やわらかい豚」という解釈がなされ、日本にこの説が伝わった時、多くの仏教徒がショックを受けたといいます。
 しかし「長阿含経」ではチュンダが供養したのは「栴檀樹耳」を煮た物とあり、すなわちキノコの煮物ということです。
 原典を自分達に近い言葉として解釈をしていた南方仏教や、中国の仏教でもキノコ説が有力です。また後に西洋でもより研究が進み、「豚が好んで土から掘り出して食べるキノコ」という説が有力になったことで、現在では豚肉説は少数派ということになっています。
 豚が掘り出すキノコといえば、西洋ではトリュフ、日本では松露なども近いかもしれませんね。
 ただ、ここで大事なのは、原始仏教においては托鉢で頂いたもの、人々の好意で供養されたものは、中身が何であれ、好き嫌いせずに有難く頂く、という決まりがあり、よしんばチュンダの供養が豚肉であったとしても、お釈迦様は感謝して頂いていただろう、ということです。
 仏教においては食事も一つの修行です。そして全ての食べ物は自分以外の命から成っているという認識があります。
 お釈迦様の時代から2500年、現在も私達は食事の時に「いただきます」と感謝の意を表します。自分の身を保つために他の生命を有難く「いただきます」という気持ちを、私達はお釈迦様の時代からずっと食卓に受け継いでいるのです。

清水 圓俊(福岡・修林庵住職)