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「【解説】衣鉢袋」

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 たいていの「涅槃図」の左側には、樹に吊りさげられた袋が描かれている。錫杖に括り付けられており、僧が遊行する際に携える衣鉢を入れるための衣鉢袋である。つまり、この錫杖と衣鉢袋を描くことにより、遊行の道中で病に倒れられたことを示している。
 しかし、これは摩耶夫人が天上から投げ降ろした不老薬の入った袋であるとする話もある。すなわち、摩耶夫人は、我が子である釈尊が病で苦しみ、まさに臨終に及ぼうとしていることを知ってこれを憐れみ、天上から不老薬の入った袋を投げ下ろしたが、樹に引っ掛かってしまって釈尊の手には届かず、ついに釈尊は入滅したのだという。これは、わが国で江戸時代の初めに著され、その後も再刊を繰り返すほどのロングセラーとなった『釈迦八相物語』という大衆説話に見られる話であり、葛飾北斎の挿画を施した『釈迦御一代記図絵』もこの話を踏襲していて、人々に知られるようになったようである。
 衣鉢袋を薬袋とする説は、つまるところ誤りであるとしなければならないが、生あるものは必ず滅するという道理にしたがい、釈尊も病には勝てずに亡くなったことを懐わせる題材ではある。
 『涅槃経』の中で、極めて有名なことばとして、「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲楽」という偈がある。これを「諸行無常偈」といい、また「雪山偈」ともいう。
 釈尊が前世において雪山(ヒマラヤ)で修行していたとき、羅刹が現われてこの偈の前半を唱えるのを聞き、はじめて聞いた真理を示すことばであると気付いて、どうしてもその後半を知りたくなり、羅刹に続きを請うたところ、「わしは腹がすいているから後半を詠む力がない、その身を差しだせば教えてやろう」というので、これを約束し、聴き終わって約束どおり崖から身を投げたという話である。実はこの羅刹は帝釈天の化身であり、この修行者が本物の修行者であるかどうかを試したのである。修行者の身が地に着く前に、帝釈天の姿にもどり、空中でその身体を受け止め、地に置き、ひれ伏して真の菩薩であることを讃歎して、「将来に悟りを開かれた後は、どうか私をお救い下さいますよう」と願ったという。
 「すべての存在や現象(諸行)は常住不変ではなく、生と滅とを繰り返している。生も滅もなくなれば、煩悩は寂滅して真の安楽が得られる」というこの偈。生と滅とは思いのままにならない「苦」であるが、生滅することが「苦」なのではない、生滅する存在であるにもかかわらず、それをあたかも常住なもののように捉えるところに「苦」が生じるのである。その道理を体得し、生と滅との二辺を離れて執着しないことこそ、しずまりかえった境地に至る道であることを説いている。
 生と滅との二辺を離れて悟りを開いた釈尊でさえ、その肉体は滅びる。釈尊の入滅は、まさにその道理を身体で示したものといえよう。

吉田 叡禮(花園大学准教授)