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「【解説】獅子」

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 獅子とは百獣の王、ライオン。紀元前5世紀ごろはアフリカからギリシア、インドに到るまで広く分布していた。
 獅子は、仏陀がなにも畏れることのないさまにたとえられる。また、獅子の吼え声は地を震わして遠くまで響き渡り、これを聞いた百獣はことごとくひれ伏すことから、外道の邪見を破摧する仏陀の説法をこれに喩えて「獅子吼」(ししく)という。
 獅子はたいへん威勢が強いが、その力を用いる際には、象に対しても兎一匹に対しても、常に全身全霊を挙げて全力で闘う。これを禅では「獅子、欺かざるの力」(獅子不欺之力)といって重んじる。料理も掃除も草むしりも、どんなに詰まらないと思われるようなことであっても、全身全霊で臨むのが、すぐれた禅者の機用(はたらき)である。

 京都紫野の大徳寺の三門を「金毛閣」というが、これは「金毛の獅子」からとって千利休が命名したもの。金毛の獅子とは金色に輝く獅子王のことで、修行を積んで力量の勝れた禅僧のことを指す。唐の禅僧・雲門文偃(うんもんぶんえん)(864-949)に次のような問答がある。
  僧雲門に問う、「如何なるかこれ清浄法身」。
  門云く、「花薬欄(かやくらん)」。
  僧云く、「便ち恁麼(いんも)にし去る時は如何」。
  門云く、「金毛の獅子」 。
  ある僧が雲門に問うた、「どのようなものが清浄法身ですか?」
  雲門が言った、「花薬欄」(=便所を囲む生垣。満開の芍薬の花で囲った柵とする解釈もある)
  僧が言った、「そのようであるならどうでしょう」
  雲門が言った、「金毛の獅子」
 雲門は、「本来の面目」の躍動するはたらきを金毛の獅子に譬えているのである。
 獅子は智慧の象徴である文殊菩薩の乗り物としても知られ、権威と力の象徴として使われることが多いが、一方で、獅子を用いた逸話の中には、たいへん慈悲深い獣としても描かれることがある。
 昔、かわいい子を持った猿がいた。ところがその親猿が病にかかり、いよいよ死が近づいたとき、同じ森に住んでいた獅子に、どうかこの子を引き取って育ててもらえないだろうかと頼み込んだ。頼まれた獅子にしてみると、子猿は食料にするにはもってこいの生き物ではあったが、死に瀕した哀れな親猿の情に心を打たれ、その子猿を引き取って育てた。しかし、獅子が目を離したすきに子猿は鷹に捕まってしまう。獅子が親猿から頼まれた子猿だから返してほしいと頼むが返してもらえず、獅子は自分の腿の肉を削り、鷹に与えて子猿を助けた。(『今昔物語』巻第五巻の十四)
 西洋にも次のような話がある。ローマには黒人の奴隷が逃げ出して捕らえられた時は、獅子に食わす極刑があった。ある時一人の黒人奴隷が主人から逃げる途中で転がり込んだ谷間の洞窟は獅子の寝床であった。唸り声の方を見ると、一匹の獅子がいて、足に棘か小刀が刺さって苦しんでいた。これをかわいそうに思った奴隷はこれを抜き取り介抱した。獅子は彼に全く危害を加えることがなかった。その後奴隷はさらに逃げたが結局捕まり、いよいよ刑の執行となった。しかし突き出された一匹の獅子は奴隷に襲いかかるどころか彼に寄り添い、いっこうに襲う気配はない。実はその獅子は、かつて奴隷が助けた獅子であった。獅子のような猛獣ですら助けられた恩義を忘れない。まして人たるもの、無慈悲なことをしてはならぬと、この極刑は廃止されたという。これも獅子にまつわる美しい逸話である。(柴山全慶『越後獅子禅話』)

香取 芳德(花薗大学学生)

《法話》獅子……新山 玄宗(愛媛・福成寺住職)