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「【解説】釈迦如来」

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 京都東山に東福寺という禅寺がある。ここには有名な大涅槃図が伝来し、毎年三月の涅槃会に合わせて特別公開される。その色彩の豊かさもさることながら、その大きさは見る者を圧倒する。縦約十五メートル・横約八メートルもあるそうだ。これはかつてこの寺にいた吉山明兆(一三五二~一四三一)という画僧が応永十五年(一四百八)に描いたとされる作品である。
 この作品の描かれた数十年後に、とある禅僧がこれを眺めている。それは、この涅槃図を詠んだ二首の詩が遺っていることから判明したことである。次に掲げるものがそれだ。

     涅槃像 二首
  作佛披毛無主賓   作佛披毛に主賓無し
  春愁二月涅槃辰   春愁二月 涅槃の辰
  有情異類五十二   有情異類 五十二
  混雜紫磨金色身   混雜す紫磨金色の身に

 涅槃に入るお釈迦さんと、その周囲で嘆き悲しんでいる動物たちとに、主体も客体もない。その涅槃の季節は物悲しい春の二月である。五十二種類にのぼる一切の生きとし生ける者たちが集まって、美しく輝く御釈迦さんの周囲をうじゃうじゃさわがしく取り巻いている。

〔語注〕
・作佛…佛になること。 ・披獣…獣になること。 ・主賓無し…自他などの相他した区別のない世界。・五十二…入滅の際し集まった五十二種の衆生。

    又
  頭上北洲脚下南   頭上は北洲 脚下は南
  前三三也後三三   前三三や後三三
  逼塞乾坤釈迦像   乾坤に逼塞す釈迦の像
  看來慧日一迦藍   看来れ 慧日の一迦藍

 頭は北向き足は南向きで、ごろんと横たわっているお釈迦さんの周りに、あっちこっちにちらほらと数人ずつの者たちがへばりついている。天地をいっぱいにふさげているこの巨大な涅槃図を、東福寺の佛殿へ、ぜひ見にいらっしゃい!

〔語注〕
・北洲…来倶盧洲。四大洲のひとつ。 前三三後三三…こちらにちらほらあちらにちらほら。『碧巌録』三十五即に出ることば。 ・乾抻…天地。 ・慧日…東福寺の山号。

 『狂雲集』に載る詩である。さあ、これでとある禅僧というのが誰だかお分かりだろう。それは、一休宗純(一三九四~一四八一)である。この二首の詩がいったい一休のいつ頃の作であるかは不明だが、一休がこの時に観た明兆の涅槃図は、出来上がってから数十年しか経っていないので、きっと今よりももっと鮮やかな色彩であったに違いない。その上、当時としても例の大きさを誇る涅槃図であるがゆえに、相当の迫力があったことだろう。その感動を詠んだのが、この二首なのである。
 この二首の詩を見てみると、涅槃図に描かれるお釈迦さんの重要な特徴が表わされていることに気付く。それは東福寺の涅槃図に限らす、ほぼすべての涅槃図に共通した特徴である。
 その特徴はふたつある。
 ひとつめは一首目の結句「紫磨金色の身」。これは、お釈迦さんの身体がピカピカと金色に光り輝いていることである。およそ、仏画や仏像としてのお釈迦さんは、ほとんどの場合、金色である。理由には、仏の三十二相(三十二の特徴的姿)のうちに「金色相」や「丈光相」というのがあるから金色であるとか、あるいはお釈迦さんの絶対性を表現するための作品装飾として金色が使用されたとも考えられる。だが、涅槃図の場合には、やはり『涅槃経』に載るアーラーラ・カーラーマ仙人(お釈迦さんが王宮を出てから最初に訪ねた仙人。無所有所定を究極の境地とした)の弟子であるプックサが供養した金色衣をまとった御釈迦さんの姿に基づかねばならない。しかしここで,アーラーラ・カーラーマ仙人のお弟子さんが登場するとは、なんとも驚きである。
 ふたつめは二首目の起句「頭上は北洲 脚下は南」。これは、お釈迦さんが頭を北、足を南にして寝ていること、つまり「北枕」である。日本では葬儀の際に死者を北枕にするが、これはお釈迦さんの弟子としてその入滅の相を同じくすることに依る。けれどもなぜお釈迦さんは北を頭にして寝たのだろうか。これにはお釈迦さんが入滅の後に北方に仏法が伝播することを願ったとする説(『遊行経』)、クシナガラからは北の方角にあたる故郷・カピラヴァスツの両親に足を向けなかったとする説(前田行貴『仏跡巡礼』)などがあげられるが、いずれも後代の説なので本当の理由はわからない。南北東西帰りなんいざ!
 涅槃図に描かれるお釈迦さんの特徴は、大抵この「金色身」と「北枕」の特徴を外れない。だから一休は巧妙にこのふたつの特徴をそれぞれ二首の詩に詠みこんだのであろう。今でも涅槃会の際に東福寺へ赴き、かの大涅槃図を見上げてみれば、一休在世と相変わらずお釈迦さんは頭を北にしてピカピカしている。

中瀬 祐太郎(花園大学学生)