更新日 2009/10/01 |
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『白馬蘆花に入る -禅語に学ぶ生き方-』 (細川景一著・1987.7.禅文化研究所刊)より |
「清」とは、すがすがしいこと、「白」とは、よごれがない、やましくないこと、「寥々」とは寂しいさま、空しいさま、静かなさま、「的々」とは明らかなさま、言ってみれば無欲恬淡として、真正直、何のてらいも、わだかまりもない清々しい感じを「清寥々、白的々」というわけです。
唐の時代、徳宗の御代、南岳山中の衡山の石窟に隠れ済む懶瓚和尚の所にある日、参内を求める勅使が来ます。高徳の噂が都に達していたのです。使者が懶瓚の石室に行ってみると、和尚は牛の糞を燃やして暖をとりながら、中で芋を焼いて食べている最中です。顔を見ると、涙やら鼻水やらが垂れて、芋と一緒になって口へいく様子です。使者は笑って、「天子よりお召しです。速やかに都へ上るのが好い。しかし、まず、その洟を拭いてはどうですか」と言うと、懶瓚、「俺は今、一大事因縁のために工夫中である。洟をぬぐう手間が惜しい、俗人に法を説く暇もない」とあっさり断ります。使者の報告を聞いて、徳宗は満足します……。 この懶瓚和尚、本名は名瓚と言います。この話から、ものぐさ瓚さん、なまけもの和尚という意味で懶(おこたる、なまける)という字が上について、懶瓚和尚というあだ名がつけられたといわれます。 『碧巌録』の編者、圜悟和尚はこの話を引いて、懶瓚和尚を「清寥々 白的々」と讃えます。 私たちは果たして懶瓚和尚のように地位、名誉、金に恬淡として、しかも、あけっぴろげに、すかっとしておれるでしょうか。 寛政の三奇人の一人、『海国兵談』の著者として有名な林子平(1738~1793)は、罪を幕府から得て、禁錮に処せられ、伊達藩にあずけられます。そして一室に幽居したままで、一度も室から出たことがありませんでした。 「禁錮の命は幕府から受けたことで、この伊達藩には関係がない。ことに年月もすでに長く経っていることゆえ、たまには外出せられても、かれこれ言うものは誰もなし、また幕府へ知れようはずもござらぬ。少しは近くのご友人でもお訪ねになり、お心を晴らされてはいかがでござるか」 ある人が気の毒に思ってこう勧めると、子平はその厚意を謝しながらも、 「いや日月が天にござる。人は欺くことができても、天を欺くことはできませぬ」 と言って、ついに一生涯、室を出ることがなかったといわれています。 終戦直後、ヤミ米を食べるのを拒否して、栄養失調で亡くなった、ある大学教授の話と思い合わせて、天は欺くべからず、自己を欺くべからず、と徹底的にすじを通した生きざまもまた、「清寥々 白的々」ではないでしょうか。名声欲、権勢欲、利欲、色欲、物欲、あらゆる欲望の渦まく昨今、静かに坐して、「清寥々 白的々」、心静かに念じたいものです。 |