一池荷葉衣無尽 数樹松花食有余

禅 語

更新日 2008/08/01
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一池荷葉衣無尽 数樹松花食有余
(五灯会元)
いっちのかよう えするにつくるなし
すうじゅのしょうか しょくするにあまりあり

『枯木再び花を生ず -禅語に学ぶ生き方-』
(細川景一著・2000.11.禅文化研究所刊)より

 中国唐代の禅僧、大梅(だいばい)法常(ほうじょう)禅師(七五二~八三九)は襄陽(じょうよう)に生まれ、姓は(てい)氏で幼少より出家して諸学を学びますが飽き足らず、遂に禅に志を立てて、馬祖(ばそ道一(どういつ)禅師に参じます。
 大梅曰く、「如何(いか)なるか是れ仏」。馬祖曰く、「即心(そくしん)是仏(ぜぶつ)」。
 この問答で言下(ごんか)に悟り、師の(もと)を辞して、大梅山の山中に草庵を結び悟後の修行に入ります。
 その辺の消息を『五灯(ごとう)会元(えげん)』の一文で紹介します。
 塩官(えんかん)(馬祖の法嗣(はっす))の会下(えか)に僧有り。因みに

拄杖(つえ)を採り、路に迷いて庵所に至る。問う、「和尚、(ここ)に在ること多少の時ぞ」。師曰く、「()だ、四山(しざん)(大梅山)の青くして又た黄なるを見るのみ」。又た問う、「山を出づる路、甚麼(いずれ)の処に向かいてか去る」。師曰く、「流れに随いて去れ」。僧、帰りて塩官に挙似(こじ)す。官曰く、「我、江西(こうぜい)](馬祖禅師在住)に在りし時、曾て一僧を見たるも、自後、消息を知らず。是れ此の僧なること()きや否や」。遂に僧をして去って之れを招せしむるに、師、答うるに、偈を以て曰く、
 二つの偈がありますが、その内の一つです。


一池(いっち)
荷葉(かよう)()するに()くる()
数樹(すうじゅ)松花(しょうか)(しょく)するに(あま)()
()いて世人(せじん)住処(じゅうしょ)を知られて
又た茅舎(ぼうしゃ)を移して深居(しんきょ)に入る


 「荷葉」とははすの葉、「茅舎」とはかやぶきの粗末な庵の事。一つの小さな池のはすの葉さえあれば着るものはそれで十分、他に何もいらない。数本の松さえあれば食べるものはそれで十分、他に何もいらない。はからずも自分の住居を知られてしまって、またうるさい事だ! かやぶき小屋をもっと奥に移すとするか、と塩官和尚の下山出世(げざんしゅっせ)の勧めを断わります。まさに徹底した粗衣粗食の中で、大自然と共に悠々自適に暮らす禅者の消息です。師は山中にある事、三十八年間と云われ、その風貌は猿のようであり、一頭の象と一頭の虎が和尚に侍従したと伝えられています。
 さて、昨今の重大関心事の一つは何と言っても「地球温暖化現象」の事ではないでしょうか。報道によればアラスカ州からカナダ西部の北極海周辺の氷河や永久凍土が大規模に溶け始め、著しくその面積を縮小しているとか。また、海水の温暖化によってエルニーニョ現象が頻発し、世界各地に異常気象をもたらし災害を引き起こしています。
 この報道を待つまでもなく、確かに近年の気候は暖かくなっている事は間違いのない事実です。冬になると数年前までは庭に霜柱[しもばしら]が必ず立ったし、寒さで手がかじかむ事もよくありました。昨今はそんな事は滅多にありません。これは主として炭酸ガス等の温室効果と言って、地球をそれらのガスがおおい、その中の気温が温室のように暖かくなるのが理由だそうです。
 地球を救う為には工場や自動車から排出する炭酸ガス等を削減しなければなりません。その為に低公害のエネルギーの開発、企業などによるガス等の回収等、いろいろな方法が検討されています。これ等の課題はいずれ解決されると思われます。しかし一番問題なのは私達の身近な生活の中で使っている多大なエネルギーの削減です。その為には産業革命以来の大量生産大量消費の物質文明、便宜と物欲のみを満たす商業主義、即ち消費は美徳の意識の改革がどうしても必要です。
 それは一度覚えたこの快適な生活のレベルを少し落とす事です。一つ満たせばまた一つ、次から次へと欲望を募らせるのではなく、この辺で「足るを知る」生活に満足する事です。
 勿論、はすの葉だけで着るものになるわけがありません。松の実だけで食べものになるわけがありません。家は雨の漏らぬ程、食は飢えぬ程、衣は身を包んで人に不快感を与えぬ程、お金は何とか生活できる程、それで充分、足る事を知れというわけです。
 瀕死(ひんし)の地球を救う為、「知足」に参じようではありませんか。