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貪瞋痴について
赤き下ろし
京都府 ・長安寺住職  正木義昭

rengo1202.jpg  懺悔文に「我等(われら)さきに造る所の(もろもろ)の悪きわざは みな我等が避け難き(むさぼり)りと(いかり)りと(おろ)かさとに由るものなり 我等が身と言葉と意より起こるところ全て我等が今(ことごと)く懺悔し奉る」とある。
 先日、若いお母さん二人がこんな会話をしているのを耳にした。お母さんAが「どうしたん?」とお母さんBにたずねた。「うちの子バカやからこれから保健所へ行って頭みてもらうんや」と答えた。するとAが「しっかり脳みそみてもらいやあ」と答えた。親しいお母さん同士の会話だからと受け流していいものだろうかと思ってみた。Bの子供にとって、自分の母親の言葉はどう心にうつるだろうか。
 言葉の軽さというか乱れとも感じることが多くなってきた。若い年代に多い傾向のように思う。冗談だからと笑って受け流せない問題があるのではないか。
 何気ない言葉と思っていても、相手にとってひどい心の傷を受けることもある。受けたものだけが苦しみ、喋った本人は悪気もなく知らぬ顔である。相手に対して悪いことをしたという自覚が懺悔を喚起する。この自覚がなければどうしようもない。殺人を犯した少年に、罪の意識をたずねると「なぜ人を殺してはいけないのか」と真顔で答えたという。これは特殊な例かもしれないが、罪悪感が若年層で欠如しかけている証拠だろう。
 戦後の学校教育や家庭教育の欠如または仏教教化の堕落などが指摘されている。その指摘は正しいと思う。どうして行けばいいのか。それは国民一人一人がすべてこのことを自覚することである。人のせいにしたり社会のせいにしたりして、他へ責任転嫁しないことだ。私達が知らず知らずのうちに犯してきた過ちに気付き、国民皆なで正しい道に向かっていくことが将来の日本を背負っていく子供達への私達の義務だ。
 家庭教育の主役は父親と母親で、今はおじいさんとおばあさんの出る幕はほとんどと言っていいほどない。物ごとの善し悪しや道徳や、ちょっとした生きていく上での智恵などを孫に伝えることが出来なくなってきた。父親母親の身口意(しんくい)の乱れがそのまま子供に伝染していく。
 仏教を若い世代にどう生かしていくか。何が最低限私達に必要だろうか。個人主義に傾倒している日本の老若男女に今一度“おもいやり”を問い掛けてみる。
 相手へのおもいやり、自然へのおもいやり、これらはすべて私達の心の中にある物から流れでてくるものである。釈尊は、お悟りを開かれた時こう言われた。「奇なる哉 奇なる哉 一切衆生 悉く如来の智慧徳相を具有す」と。生きとし生ける物すべてに仏さまと寸分変わらぬ智慧を生まれながらに持っている。悔い改めることにより、光を失った智慧が輝きを取り戻す。私達の身と言葉と心より起こるところのものすべてを問い直して見る。そのことなくして、言葉の乱れや行ないの乱れ、心の乱れを直していく道はない。

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