法 話

恩を知り感謝する気持ち
書き下ろし

京都府 ・雲林院住職  藤田寛蹊

コスモス「恩を知るは大悲の(もと)なり、善業を開く初門なり、
恩をしらざるものは畜生より(はなは)だし。」
             龍樹菩薩『大智度論』



 最近、言葉を大切にしていない自分に反省しきりです。人間、毎日顔を会わせていると感謝を忘れ、「ありがとう」という言葉を大事にしていないと感じています。何も「ありがとう」だけでなく「こんにちは」「いただきます」など相手に感謝を表わす大切な言葉は沢山あります。
 先日、ある学校で母親が『子供に給食の時間、「いただきます」を言わせないで欲しい』という申し入れがあったそうです。その理由は、給食費をちゃんと払っているのだからいいのではないかと言うものでした。また、ある人の体験談は、「食堂で、『いただきます』『ごちそうさま』と言ったら、別のお客さんに『どうして?』と聞かれた。「作った人に感謝している」と答えると『お金を払っているのだから、店がお客に感謝すべきだ』と言われた。」との事だった。
 確かにそうかもしれない。しかし、今、もっとも大切な事が忘れられていると思います。それは相手を思いやる心、感謝の気持ちだと思います。
 「恩を知り他人に情けをかけられる人こそが、人を慈しみ、みんなに幸福を与えられる人です。自分に都合のよいことばかり期待して、自らは善行を心がけず身勝手なのは人間とは呼べない」。先程引用した『大智度論』にはそのようなことが説かれています。
 お金を貰っているとか、払っているとかに関係なく、自分が今生きていけるのも多くの人やものそして、社会の存在があるからだと感謝をし、有難いと思う。その心の余裕と思いやりが必要です。拝金主義、「勝ち組」「負け組」などと心の通わない言葉で一人の人間を判断してしまう今だからこそ、子供達や若い人達に人とものの大切さを知らせるために「いただきます」「ごちそうさま」の心は伝えていかなければならないと思います。
 皆さんはどのように感じられるでしょうか。どちらが「正しい」、「悪い」という簡単な判断は出来ないと思います。問題なのは、「人」に欠落しているものは何かということです。今回は「いただきます」という言葉を取り上げましたが、回りに対する「感謝の言葉」は沢山あるはずです。私自身、今一度、人やものに対して思いやりの気持ちを考えながら「感謝の言葉」を大切にしていきたいと思っています。