法 話

梅花の咲くころ
書き下ろし

埼玉県 ・吉祥寺副住職  小林秀嶽

 本格的な冬が訪れ、お寺の池にも氷が張るようになりました。厳しい寒さが続く中、暖かな春の到来を待ちわびる毎日です。しかし、暦の上では、節分をさかいに、春の到来となります。
 この時期、境内を歩いておりますと、桜や紅葉など様々な草木のつぼみが目にとまります。厳しい寒さにも関わらず、春に美しい花を咲かせるため、一所懸命耐え忍ぶその姿に心励まされることが多々あります。そのような冬景色の中、だれよりもいち早くその花を咲かせようとする草木があります。それは冬の花、梅です。冬空の下、梅は桜のような華やかさはありませんが、その姿は、わたしたちの心を凛としてくれます。
 よく「梅花五福を開く」という掛軸を見かけます。わたしたちに具わる五つの智慧――すべてがありありと見える智慧・物事を平等にみる智慧・行動に現われる智慧・善悪を弁別して観察することができる智慧・すべて仏心のあらわれであるととらえることのできる智慧――を梅の花に喩えたものです。
 同じように「一華五葉(いっかごよう)(ひら)き、結果(けっか)自然(じねん)()る」という達磨大師が、弟子の慧可(えか)に与えた言葉があります。五智(五つの花弁)を合わせると、素晴らしい仏心(一華)が結実するということです。つまり、自らを磨いて、努力を積むことによって必ず華が咲き、自然に実をつけるようになるということでしょう。
 道元禅師の著した『正法眼蔵』の梅華の巻には、梅について「梅の開くのにつられて春も早くやってくる。春の功徳は全て梅のなかに詰まっている」と興味深いことが書いてあります。つまり、春が来たから梅が咲いたのではなく、梅が咲くから春が来ると云っているのです。ふつうは春が来たから、梅の花が咲くと考えます。なぜでしょうか。きっと春が訪れるのを待つのではなく、梅のように、厳しさの中にあっても耐え忍び、自らの華を咲かせることによってはじめて春をもたらすことができることを教えてくれているのでしょう。
 草木はつぼみに目一杯の命を充満させ、やがてそれを開花させ春をもたらします。とかくわたしたちは自分の素晴らしさ、内に秘められているものに気づきません。しかし、梅花のごとく、自らの可能性を信じ、その花を咲かせなければなりません。
 凛とした姿をみせる梅の木の下、「春よ、来い~♪」と春の訪れを待ちわびるばかりの自分が恥ずかしくなります。