法 話

柳は緑、花は紅
-あるがままの姿に徹し生きる-
書き下ろし

岡山県 ・安禅寺住職  村上明道

 水はぬるみ樹木の芽がふくらみ、まさに春本番を迎える季節になりました。宋時代の詩人、蘇東坡は春の景色を「柳は緑、花は紅、真面目(しんめんもく)」と詠じています。花は色とりどりに咲きほこり、自然の営みにすべてをゆだね、一瞬一瞬をあるがままに生きています。その草や樹木の姿に、限りない生命の息吹を感じ取り、「真の面目」と賛嘆しているのです。
 以前、ある家の法要にお参りをした時、脳に障害をもった少年が出席していました。この少年は、親戚の人達の前にはじめて出ることができたのだと、少年の父親に聞かされました。十数年の間、悩み苦しまれた両親の気持ちにやっと整理がついたのです。
 私たちは、自分と他を比較して、どうにもならないことに思い悩むことがあります。たとえば、他と比べてこちらが優れていると感じたときは喜び、逆に劣っていると思えば、焦りや憤りが生じ劣等感に苛まれます。
 少年の両親は、障害があることは、ないことに比べれば苦しいけれど、いくら思ってみてもどうにもならないことならば、あるがままの姿を受け入れ、そこにいのちの輝きを見いだして生きていこうと、覚悟することができたのです。そのいのちの輝きこそが真の面目ではないでしょうか。
 何かを求めることは、時には美しく、人として成長することがあります。しかし、優と劣、美と醜、得と損など比較することから離れられなければ、苦しみはつきまといます。
 身体、容姿、それに生まれた境遇など、考えてみてもどうにもならないことをつい思ってしまいますが、それよりも、すべて賜物として有り難く、そのままに頂くことができればどんなにか幸せを感じられることでしょう。
 もうすぐいろいろな花が次々に開きます。梅や桜のように多くの人々の目にとまる花もあれば、道端に人知れず咲くイヌノフグリのような小さな花もあります。どれもこれも、あるがままに生きている精一杯の姿であり、この輝きを感じとることができれば、自分の生命と花の生命がまったく同じものであることを知るでしょう。