法 話

お盆の棚経の思い出
書き下ろし

京都府 ・長興院住職  白井大然

 夏になると、必ずやってくるお盆、今の若者たちには馴染みがなくなりつつあるこの行事も、わたしの子供の頃にはあたりまえの風物詩だった。一般の子供たちがどのような気持ちでお盆を迎えたかは、お寺の子であった私にはわからないが、お盆近くになると老僧が迎え火のための松の古木の芯をとりに山に出かけていたのを思い出す、そしてお盆の前日の夜それを燃やしたときの松脂の燃える匂いが私のお盆の匂いである。
 そして棚経といってお檀家さんの家をくまなく一軒ずつ手分けして、お経をあげて回るのである。私がその棚経にはじめて回ったのは中学1年の時、それまで父である住職と共に行ったことがあるが、一人ははじめてだった。どきどきし間違えずに読むのに必死で冷や汗ばかりをかきながら一軒一軒回っていった。どの家も大変喜んでくれて、お菓子やジュースを出してくれるのはありがたかったが、ことわりかたを知らない私は、五軒を過ぎた頃にはもうお腹がパンパンだった。でもあの頃親父がこのお経が良いといって、読むように言われた、宗門安心章第三行事仏道のところは、いまでも頭のなかにあり「定とは坐禅三昧なり」とか「慧とは智慧なり仏智なり」といった言葉がいつも浮んでくる。ジュースを出して一緒にお経をあげて下さった、おじいちゃんやおばあちゃんはもういないが、その笑顔と共に安心章の聖句がお盆の棚経の思い出として今も私の心に残っている。