法 話

修正会
―冬の風鈴―
『花園』平成7年1月号

大分県 ・福正寺住職  森哲外

 お寺ではお正月に「修正会」のおつとめをします。昔、聖武天皇のころ、諸国の国分寺で吉祥天をまつって、前年のいろんな過ちを悔いて修正する法要から始まったといわれます。
 一年間の内、知らず知らずにつくられた罪業を大晦日に、除夜の鐘を百八撞いて煩悩を打ちはらい新年を迎えます。煩悩を無くし、心を空っぽにして新しい年を迎えるのです。
 新年を迎えますと「あけましておめでとう」といいますが、旧年の煩悩が無くなっての新年ですから「明けまして」より「空けましておめでとう」の方がよいようにも思われます。心に煩悩が兎の毛の沙汰もない、これほどめでたいことはないでしょう。
 冬でも風鈴を下げているお寺があります。その風鈴は、寒い北風が吹いても「チリーン」と、鳴ります。心が空っぽだから風にさからいません。道元禅師の中国での師、天童如浄禅師に「風鈴の詩」があります。

 風鈴の詩
 渾身口に似て虚空に掛かる
 問わず東西南北の風
 一等誰が為に般若を談ず
 滴丁東了滴東了        如浄禅師

 風鈴は全身が口ばかりで、大空のもと軒下に掛かっています。その風鈴は東西南北いずれの風をも嫌いません。等しく私達に仏の教えを説いています。どう説いているかというと「チリーンチリーン」と。順境の時も逆境の時も、一所懸命生きよと説いています。
 どうかすると私達は、我見のため選り好みをしてしまいます。健康や春秋を好み、病気や暑さ寒さを嫌ってしまいます。風鈴は心に我見がなく空っぽですから、どんな風が吹こうとも、物事にとらわれることなく無心に生きることができるのです。
 新しい年を迎えるに当って、我見を捨て心を修正し、心を空っぽにして、この一年を過したいものです。