法 話

ダルマさんの眼
『花園』平成9年10月号

静岡県 ・東光寺住職  横山博一

 10月5日は、禅宗始祖の達磨大師のご命日です。禅寺の達磨大師像の澄んだ眼には、慈愛の光を感じます。達磨大師のお言葉で日本が、滅亡から救われたことを知る人も少なくなりました。
 第二次世界大戦の末期、静岡県三島市龍澤寺の山本玄峰老師を鈴木貫太郎氏が訪れています。老師は鈴木氏に、首相に就任されて、潔く負けて戦争を止めることを、勧めました。「堪え難きを堪え、忍びがたきを忍んで、この難局を乗り切ってください」と励まされました。
 鈴木貫太郎内閣になり、昭和天皇の終戦の詔勅が出されました。「時運の赴く所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス」この「堪え難きを堪え、忍びがたきを忍び…」は、達磨大師が後継者となられた神光(二祖慧可大師)に、入門のときに与えられた修行の心得でした。
 「堪えがたき恥辱を忍ぶものは、悪くいわれることはなく、必ず人のために尊ばれることになる」とお釈迦さまのお言葉にもあります。
 鈴木貫太郎首相は、絶滅か生存かの岐路に立たされたとき、降伏の屈辱に耐える決心をしました。日本が生きる希望の眼を開いたときでした。
 禅宗では、眼は無上の智慧を表し、この智慧を持たない者を、無眼子ともいいます。
「行も亦禅、坐も亦禅、語黙動靜鱗体安然」と宗門安心章にあります。布施などの好意をあらわす。誓いを持つ。我慢できる。怠けない。澄みきった心。信心を悦ぶ行い全てが禅です。
 六波羅密などの行いが善根を増長する縁となることを行縁といいます。眼が開くとは、行縁の活き活きとした習慣が身につくことではないでしょうか。
 知性が重んじられ、感性がおろそかになったと危惧されている昨今です。勇気と実行で感性が育てば、バランスがとれた豊かな暮らしが望めます。希望の眼を開く達磨大師の御心にかない、私たちも心の眼が開く月となりますよう精進いたしましょう。