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施餓鬼会 ―施の心― 『花園』平成6年7月号
大分県・福正寺住職 森哲外

 施餓鬼会のいわれは、お釈迦さまの十大弟子の一人で多聞第一といわれた阿難尊者が、ある晩静かな所で修行していると、焔口餓鬼が来て「お前は三日以内に死んで餓鬼道に堕ちるだろう」と言われた。驚いてそれから逃れる方法をたずねると「餓鬼と婆羅門に供養せよ」と言われました。そこでお釈迦さまにことの次第を申し上げると「十万僧に供養せよ」との教示があり、その通りにしたところ長寿を保ったということです。
 餓鬼に施すというこの「施」の根本にあるものは捨、即ち慳貪の心を捨てさせることです。むさぼり求める心を捨て人々に施しをすることであります。
  施すも無心 受くるも無心 施物も無心
    これを三輪清浄の施という
                (心地観経)
 京都の街なみを托鉢しますと、雲水全員に信施をしてくれます。十円を出して「おつりをください」といわれます。最初は惑いましたが、五円を渡すと後の人にその五円を入れてくれます。おつりのない時は「あとで後の人に半分渡して下さい」とか「この次の分と一緒」と言ってケロッとしています。
 「ホーホー」と托鉢の声が聞こえてくると、皆一斉に門口に出て待っていてくれます。そして喜捨をされます。金額はわずかですが、何回行っても何人行っても、いつもすべての雲水に喜捨をしてくれるのです。
 このように喜捨してくれる人々の心は無心です。受ける雲水も無心です。もとより施物も無心。これが布施の心です。施は金額の多い少ないではなく、施しをするという心が大切なのです。
 自分さえよければといった心を捨て、多くの有縁無縁の人々に、その人なりの「応分の施」をすることが施餓鬼会の心であります。
 施餓鬼会を縁として一人一人が慳貪の心を捨て去って、真実の施ができるよう心掛けてゆきたいと思います。

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