大分県 ・福正寺住職 森哲外 |
彼岸とは「安らぎの境地に到り得た」という意です。遠い所に求めるのではなく、日々の暮らしの中で気づかねばなりません。
まわりの景色は昨年と少しも変らず、桃や桜の花は正に霞の如く咲き乱れているのに、昨年元気だった有願の姿は今年は見えません。桃の花を有願の姿と受けとり「花を見て思い出すのはあなたのことだ」と。良寛さんは有願を偲びました。 私の妹夫婦は、昨年・一昨年とつづいて亡くなりました。一昨年の三月は長男が大学に合格し、五人家族全員元気に揃っての楽しい夕食でした。春は昨年もやってきました。しかし、両親の姿が見えません。三人の兄弟も一時期、京都・九州・名古屋とバラバラの生活でした。 子供達も良寛さん同様、桜の花を両親の姿と受けとれば、肉体の親とは別れても、父や母のいのちと共に生きることができるでしょう。
桜の花は毎年三月になれば咲きます。しかし、昨年元気だったからといって、今年も元気という保証はありません。 |