修行(雲水の生活)

新到参堂
しんとうさんどう

 辛抱の甲斐あって、ようやく入衆(にっしゅ)の朝がきて、彼は禅堂に移される。
 禅堂には前門と後門の二つの出入り口がある。新到の僧は導かれて後門から入る。そして、堂内を一見し、思わず息をのむ。そこには、銅頭鉄額(どうとうてつがく)の先輩雲衲(雲水)が、さながら山や巌のごとく突兀(とつこつ)と坐っている。静寂の中に張りつめた雰囲気がみなぎっているのを肌に感じる。
 前門に首座の直日(禅堂の取締役)がいて、禅堂内の指導と監督にあたり、後門には禅堂全体の管理者である侍者寮頭(禅堂の世話役頭)坐っている。彼らはともに久参(長く修行を積んだ人のこと。新参に対して久参という)または飽参底(ほうさんてい…奥義を体得して師の指導の必要のない人)の役位さんで、その物腰やつら構えからして尋常ではない。
 まさに前門の虎、後門の狼というべき存在である。やがて彼らから選仏場(僧となるよう鍛練選出する場。転じて禅堂を指す)にふさわしい、手厳しい法愛の策励(はげまし)を受け、彼らに鬼の姿を見出すであろう。
 前門を入ったところに聖僧さん(文殊菩薩)が安置されている。新到の 僧は礼装の袈裟を着け坐具をひろげて、慇懃に五体を投地して、修行成就の願をこめて礼拝をする。その後、初めて自席に案内される。そこには、貧しい彼の複子(荷物)がすでに置かれている。もちろん、最末単である。
着座と同時に「新到参堂!」という侍者寮の声を合図に、一斉に低頭する。引きつづいて渋茶がふるまわれる。これを茶礼という。
 これで、めでたく入衆(雲水の仲間入り)したのだ。これほど爽やかで、簡潔な新入者の紹介も他では見られない。学歴も人柄も前歴も、いや名前すらも、ここでは紹介されない。「新到参堂−新しい修行者だよ」の一声で終わるのである。「よろしく」ともいわない。まことに爽やかである。。